蘆田60年の歩み

 蘆田株式会社のルーツは戦前までさかのぼります。

 昭和初期、蘆田 素直(あしだ すなお)は大阪の繊維問屋の番頭を経て独立し蘆田商店を構え、布帛(ふはく)製品の製造、販売を始めました。戦前にはかなり隆盛をきわめ、国内販売はもとより、輸出も行っておりました。大阪市内の東横堀近辺で製造工場も営み、今でもその名残を見ることができます。

蘆田株式会社60年の歩み

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蘆田株式会60年の歩み
蘆田株式会社60年の歩み

 昭和17年頃、戦況が厳しくなり兵庫県丹波に家族で疎開しますが戦後、当時の唐物町(現在の船場センタービル8号館あたり)で商売を再開します。

 昭和28年法人として蘆田商店設立。2年後の昭和30年、株式会社蘆田商店に改称。中央区本町に自社ビル(当初は3階建木造)を建設します。当初は戦前と同じ布帛製造が中心でしたが、手持ちの原反を使い、三休橋でハンカチーフを製造していた工場に指導を頂きハンカチーフの製造を始めます。当時のハンカチーフは白生地をヘム縫いしただけの単純なもので、プリントはもとより、白ボーダー、先染めも無い時代です。

蘆田株式会60年の歩み
蘆田株式会社60年の歩み

 平成9年に東大阪に移転し現在に至ります。戦後、大きな転換点は、「主な取扱商品を布帛からハンカチーフに変えたこと」、「中国にて工場を指定し、オリジナルオーダー商品を製造し始めたこと」。また、他社に先駆けてその時点で中国では製造不可能と言われていた「ミニタオルハンカチーフを製造し、輸入販売をはじめたこと」等があげられます。

 時代とともにハンカチーフは栄華を極め、そして衰退していきました。

現在、ハンカチーフは生活必需の観点からみれば片隅にあると言わざるを得ません。しかしハンカチーフは様々な場面において、やはり欠かせない商品であります。

 重光商事は蘆田が築いたハンカチーフの素晴らしさを先人の想いと共に後世に繋ぐ使命と、ハンカチーフの可能性を見出す使命を抱き、これからも歩んで参ります。

PAGODAブランドについて

PAGODA
PAGODA

 2代目社長の蘆田義造は太平洋戦争で当時のビルマ(現在のミャンマー)に派兵された際に、ビルマの町や田舎の至るところに建てられ、現地の人々の信仰の対象とされている「PAGODA   パゴダ」に深い感銘を受けました。ミャンマーの人々にとって、パゴダは「釈迦の住む家」であるとされ、パゴダを建てることは、ミャンマーでは「人生最大の功徳」と考えられています。

 

 蘆田義造はその後、銃創を負い帰還することになりましたが、ビルマに対する強い思い入れから、PAGODAを自社ブランドの商標にしました。

 

 PAGODAは60年続く弊社のオリジナルブランドとしてこれからも皆様から愛されるブランドとして歩み続けます。

国産白ハンカチ、紳士用ハンカチ、礼装用ハンカチのお求めは蘆田のハンカチーフまで

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​重光商事株式会社 ハンカチーフ事業部

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